羽津山町自治会


羽津山町のあらまし

 羽津山町は、東西に細長い町で、東は近鉄名古屋線の線路をはさんで城山町に、南は東阿倉川町に、西は山手町に、北は大宮西町と大宮町に接しています。地区の南辺を山手通り、西辺を市道阿倉川西富田線が通っており、これらの道路は通過交通量が多く、朝夕は恒常的に渋滞がみられます。
これらの道路沿いには、商店なども多く立地して商業地区を形成していますが、一歩中に入ると閑静な住宅街になっています。

このあたりは、江戸時代末期には羽津村の出郷である会下の集落がありました。
寛政8年(1796年)の絵図には家6軒と記されており、今では想像できないほどの寒村だったことが分かります。

それが、現在では411世帯989人(平成24年10月1日現在)の住民が暮らす、羽津地区の中でも大きな町になっています。

羽津山町には、古くからの住民が多く高齢化も進んでいて、102歳のおばあちゃんを筆頭に、住民の1/3が高齢者という羽津地区一番の長寿の町です。

また、羽津山町には、萬古焼の製陶所も多く立地しています。海蔵地区に近いという地理的条件と、かってはこの地内で陶土も採れたということも、製陶所が多い理由でしょう。最近は、安価な外国製品に押されて廃業する所も増えており、跡地が宅地化されて新しい住民も増えてきています。

 

地区の史跡、文化財

羽津山町には、かって羽津山城主赤堀家の菩提寺だった正法寺と、「鎮驚丸」で有名な森玄佺(もりげんせん)家があります。

正法寺は、応永年間(1394~1428年)に羽津城主赤堀右衛門太夫盛宗が建立した曹洞宗総持寺直末の寺院で、「延命山」の山号をもっています。本尊の「地蔵菩薩坐像」は三重県の有形重要文化財に指定されています。
寺には、羽津赤堀家初代から6代まで(盛宗-宗久-宗善-宗慶-宗昌-近宗)の過去帳が残っています。
正法寺山門 地蔵菩薩坐像

山門を入った境内の右側には、行者堂があります。この行者堂は、「役の行者(えんのぎょうじゃ)」像を祀っており、昔は阿下(現在の城山町)にありました。

毎年9月7日に、この行者さんを祀る祭りが行われ、「行者さんの祭り」あるいは「阿下の祭り」と呼ばれていました。
しかし、阿下に「しょうかんぽ」という流行病(熱病の一種)が広がり、それが行者さんの所為ではないかとの噂が立って、祭りが行われなくなってしまいました。
行者堂 行者さんの像
行者さんの左右にある像は男女の鬼
それを惜しんだ「丸万」の森はなさんたちの手で、行者さんの像が正法寺に移されました。それに伴って祭りも復活され、羽津山町で行われるようになりました。これが、今も9月の第一日曜日に行われている「あんどん祭り」です。当時から、正法寺の参道には大きな行燈がいくつも飾られ、夜店も立ち並ぶという賑やかな祭りでした。
 
鎮驚丸は、森玄佺(せん)家の先祖が室町時代に禅宗の僧侶として中国に渡り、伝授されたものを持ち帰り、代々漢方医として研究改良を加えたもので、21種の和漢生薬を配合した丸薬です。夜泣きや、疳の虫、ひきつけ、腹痛などに効能のある小児薬で、よく名前を聞く「宇津救命丸」や「樋屋奇応丸」などより良質で薬効が高いとされています。 

森家は、江戸時代初期の元亀年間に森与エ門盛景が医業を開いて中興して以来、代々名漢医として知られていました。羽津町の東海道筋にある森家が町の医者と呼ばれたのに対して、山の医者と呼ばれて親しまれていました。
鎮驚丸の看板
明治20年に、森家の養子となった森正道博士は、ドイツに2度留学するなど内科、外科の近代西洋医学を修め、明治30年に羽津病院(現在の四日市社会保険病院)を設立しました。当時の羽津病院は、東海地方屈指の病院で、遠来の患者も多く、門前市を成すありさまだったと云います。その後も、森家によって経営されてきましたが、第二次大戦末期に国に接収され、戦後の昭和22年に(財)社会保険協会の直営となり、社会保険病院の第1号となりました。 
病院の東、駐車場出口のところに、森正道博士の顕彰碑が立っています。 
森玄佺家 森正道翁顕彰碑
 

 

ふれあいいきいきサロン「仲良し会」

 「仲良し会」は、2008年に羽津山町に誕生した「いきいきふれあいサロン」です。
“ふれあいの場を設けて、人と人との絆を深められたら”という願いのもとに生まれました。さまざまな歌や、指の運動、ストレッチ体操、カレンダー作りを楽しみながら、耳よりの情報や懐かしい思い出話に花が咲きます。時には、折り紙などで小さな作品を仕上げたり、舞踊、民話語り、出前講座で勉強することもあります。
 
     
       

いつでも新しい仲間を募集しています。年齢制限はありません。(ご見学も自由です。)

  日時 : 毎月第一土曜日
  場所 : 羽津山町集会所
  お問い合わせ先 : 059-331-9145(東)

 


 

羽津山町自治会の構成

羽津山町自治会は、羽津山町の住民をもって組織されています。会員数が多いため組数は32あり、役員も本部役員9名、団体役員20名と大所帯になっています。

 

自治会役員

役  職 氏  名
 会長  
 副会長  
 
 
 会計  
 集会所会計  
 会計監査  
 
 組長  1-A組  
 1-B組  
 1-C組  
 2組  
 3組  
 5組  
 6組  
 7組  
 8組  
 9組  
 10組  
 11組  
 12-南組  
 12-北組  
 12-西組  
 13組  
 14組  
 15組  
 16組  
 17組  
 18組  
 19-1組  
 19-2組  
 20組  
 コーポ組  
 スカイ-1組  
 スカイ-2組  
 レジデンス組  
 グリーン組  
 さつき東西組  
 志氐(で)野組  
 他アパート組  
 

各種団体役員

役  職 氏  名
 民生児童委員  
   
 老人会会長  
 育成会会長  
 羽津小学校代表  
 羽津中学校代表  
 体育振興協議会  
 交通安全協会  
 福祉協力員  
 自主防災隊  
 婦人部  
   
 環境・美化  
 ふれあいの会  
 神社総代会長  
 神社総代  
   
 奉賛会代表  
 幟責任者  
 仏教団  
   
 消防団分団長  
 消防団分団員  
   
 連絡員  

 

自治会会則等

  羽津山町自治会会則

  組長さんの仕事

  羽津山町弔事取扱い基準

  羽津山町集会所の使用及び管理に関する規定

  羽津山町自主防災隊会則