羽津の昔「子どもの遊び」

1.いろいろな遊び

(1)おおぜいが集まって
   鬼ごっこ
   こうふや
   かんけり
   きゅうてん
   三きらい
   木つかまし
   目かくし
   影ふみ
   かくれんぼ
   おしくらまんじゅう
   馬乗り
   チャンバラごっこ


鬼ごっこ

数人が集まれば、簡単にできる遊びである。ジャンケンで鬼を決め、鬼以外の者は逃げる。鬼は、逃げる者を追いかけ捕まえるる。捕まえたら、鬼は逃げる側に入り、捕まえられた者は、新しい鬼となる。こうして、鬼は次々と代わっていくのであるが、あまりにも体力差のある者が入っていると、その子ばかりが鬼になって面白くないので、そういう子はなるべく捕まえず、自分と体力が同じか、ちょっと上くらいの相手を追いかけていくのが暗黙のルールとだった。

こうふや

小学校低学年の男女が一緒に遊んだ遊びである。屋外で20メートル四方ぐらいの範囲を地面に書く。

  「こうふやするもの  よっといで」

  「こうふやするもの  よっといで」

と仲間を呼び集める。10名ぐらいになったら鬼を1人決める。他の者は地面に書いた範囲の中で逃げ、鬼に捕まったら鬼と手をつないで手を左右に広げ、さらに追いかけ捕まえては手をつなぎ、長くしていき、最後の1人まで追いかける。範囲の外に来てしまったら鬼の中に入る。

かんけり

冬場を中心に、男女の別もあまりなく、かなりの人数を集めて遊んだ。

まず鬼を決める。次に、予め用意してきた空き缶を一定の場所に置く。その缶を、鬼以外の者1人がなるべく遠い所へとぶように蹴り、鬼が缶を拾いにいっている間に逃げ隠れる。鬼は、拾ってきた缶を元の所に置き、隠れた者たちを捜す。見つけたらすぐに缶の所へ戻り、「○○ちゃん ポン」といって片足で缶を踏む。

姿を見つけられ缶を踏まれた者は鬼に捕まったことになるが、見つけられても鬼が缶を踏む前に走っていって缶を蹴ったらセーフで、その時、鬼に捕まっていた者も再び逃げ隠れることができる。こうして、全員が捕まったら鬼を交代して遊びを続ける。

この遊びは、缶を鬼が拾って来にくい所へ蹴るのがコツで、蹴るのに失敗すると、たちまち鬼に捕まることになる。また、鬼のスキをつき、勇気を出して缶を蹴りにいくことが遊びを成立させる条件で、捕まるのを恐れて隠れてばかりいては遊びにならない。

つまり、危険をのりこえる勇気とチャンスを待つ忍耐心、捕まった仲間を助け出そうとする義侠心、それにも増して皆んなで遊びを成立させるんだという責任感と連帯感が要求される遊びである。こうした心を持ちあわせず、隠れたまま何時までも出てこない者は、軽蔑され、あるいは嫌がられ、おのずと仲間外れにされた。

きゅうてん

高学年から低学年までの男子が混合でやった野外の遊びである。きゅうてんのやり方は、次のとおりである。

  1. 総人員をジャンケンなどで半分に分ける。幼児や低学年などで、この遊びについてこれそうもない子供は員数外とするが、これを「味噌子坊」と言い、二軍としてその辺にウロウロ遊ばせておき、将来の見習いをさせた。欠員ができると、繰りあがってレギュラーとなる。子供集団の底辺も決して疎外はしなかった。 
  2. 広場の反対側に2つの組が向いあって陣地を画く。竹や木ぎれで地面に半円形の線を引けば良い。長方形の広場なら対角線に陣地を作った。陣地の大きさは、味方の全員を収容できる程度。 
  3. 自分より先に陣地を出た敵の体に手が触れれば、その敵は捕虜となり、自分の陣地へ連れてくることができる。これを見た敵方からは、捕虜を奪還しにくるが、それよりも後から陣地を出発した味方の者がこれを追いかけ、逆に捕虜にしようとする。 
  4. 最初に捕った者は、片足を敵陣の中に入れ、残りの片足と片手をできるだけ味方の方へ伸ばして救出を待つ。2番目の捕虜は敵陣外で良いが、最初の捕虜と手をつなぎ、反対の手をのばす。以下、3番目、4番目と捕虜の列は長くなっていき、最後の一人が救出に失敗して捕虜にされた時、全滅となって勝負は終る。 
  5. 捕虜救出のルールは、捕まえにくる敵の手をかいくぐって味方の一番手前の捕虜に接近し、これと手をつないで捕虜全員の列が切れないようにしながら素早く味方の陣地まで誘導してくることである。そして片足が味方の陣地内へ入ったら全員がセーフとなる。もし途中で列が切れたら、そこから後の捕虜は敵陣へ逆戻りしなければならない。また、誘導中に、後から出発して追ってきた敵にタッチされたら、全員が捕虜となり、再び敵陣にもどって並び、次の救出のチャンスを待つ。

この遊びの人員は自由であるが、ある程度多いほうが面白い。用具はまったく必要ない。

ただ、味方の陣地を出て敵をつかまえに行く勇気と、捕虜になった味方を助けだしに行く相互扶助の精神が要求される。それ以上に、たとえ年長者でも後から陣地を出てきた敵の年少者にタッチされれば捕虜とならねばならないが、この時にどちらが先に陣地を出たかを絶対に誤魔化してはならない。これを誤魔化したら、この遊びの根本が崩れることになる。

三きらい

明治の末頃に、とてもさかんだった集団あそびのひとつである。人数が少ないとできないし、面白くない。

集まった者たちを3つの組に分ける。その3つの組は、いわゆる「三すくみ」の関係にある。ガエル(蛙)の組はクチナ(蛇)の組に負けるが、ナメクジの組に勝ち、クチナの組はガエルの組には勝つが、ナメクジの組には負ける。

そうして、それぞれの組は、自分たちの陣地を作り、そこから出発して、ガエルはナメクジを、ナメクジはクチナを、クチナはガエルを捕まえ、自分の陣地に連れてくる。

このような三つどもえの戦いをくりひろげ、たくさん相手をつかまえた組が勝ちになった。

少し後の昭和になると、この遊びと先にあげた「きゅうてん」をミックスし変化させた「軍艦あそび」が盛んになった。

木つかまし

男の子と女の子が一緒に遊んだ。昭和50年ぢの子どもたちの遊び「たかたかとうばん」によく似ている。

じゃんけんで鬼を決める。鬼以外は木に捕まると安全地帯となり、鬼は捕まえてはいけない。しかし、いつまでも木に捕まったままでは遊びにならないので、十を数えるくらいですばやく他の木へ移らねばならない。木から手をはなしたすきに、鬼がその子を捕まえると、今度はその子が鬼になる。「二兎を追うもの一兎も得ず」の例え通り、あっちもこっちもと追いかけていては、なかなか捕まえることができないので、一人の子に狙いを絞って徹底的に追いまわしたりした。

この遊びは木のないところではできないが、木が多すぎても危ないので、お寺の境内などが格好の遊び場だった。

目かくし

男の子も女の子も、大きい子も小さい子も混じって3、4人からできる。まず、鬼を決める。

   「鬼さんこちら 鬼さんこちら」

手拭で目かくしをした鬼は、逃げる子のたたく手の音や声をたよりに、両手をひろげて捕まえにいく。声をたてずにそっとしている子や、わざと鬼の耳の側でてをたたいて素早く逃げたりする子もある。なかなか捕まらないと

   「ここまでおいで 手のなる方へ」

と手をたたき、大きな子は小さい子の鬼にわざと捕まえられてやったりして、楽しく遊ぶようにした。目かくしをしているので、障害物のない家の前やお寺の庭などで遊んだ。

影ふみ

お天気の良い日や月夜に、5~6人から10人くらいまでの集団で遊ぶ。

先ずはじめに、体のどの部分の影を踏むと鬼になるかを決める。そして、例えば頭の部分と決めたとすると、1人の鬼が一所懸命に相手を追いかけて行き、影の頭のへんを踏もうとする。踏まれたら、その子が次は鬼となる。

逃げる方は、疲れてくると、木の陰か家の影へ逃げこんで一息入れたり、追いつめられて困った時には、その場に小さくしゃがんで、頭をふったり、体をよじったりして、鬼に影を踏まれないように頑張った。

かくれんぼ

昔、最も人気のあった遊びのひとつで、数人が寄れば必ずといっていいくらいこの遊びをした。

ジャンケンをして、負けた子が鬼になる。家の囲いなどに前向きにもたれ、目をつむって決められた数(だいたい百ぐらい)を数える。その間に、他の者はそれぞれの場所に隠れる。

数え終わった鬼は「もうええか」という。隠れた者は「もうええぞ」という。鬼は、その声がした方へ探しに行くが、隠れた者は物陰を伝って見つからないように移動し、鬼のとまっていた場所へ「とうばん」と言って手をつく。「とうばん」をしないうちに見つかると、鬼に捕まったことになり、その者たちどうしでジャンケンをして、また新しい鬼を決めるる。

誰も見つけることができず何回も鬼になる小さい子などは、しまいに泣きだしてしまうので、大きい子が鬼を代わってやったりすることもあった。また、鬼になって数をかぞえる時に百まで数えるのが面倒くさくなると、途中から「ひなこと、ひなこと、…」と言うのを繰りかえして数を誤魔化したりもした。

おしくらまんじゅう

寒くなると、無性に日なたが恋しくて、子どもたちの集まる時にも自然と日当たりのよい場所が選ばれたが、それでも寒くて我慢できない時などに、この遊びをした。

   おしくらまんじゅう 押されて泣くな

   あんまり押すと あんこが出るぞ

   あんこが出たら つまんでなめろ

板塀や家の囲いに横一列にもたれて、手をふところに突っ込んだまま、こんな歌をうたいながら押しあいっこをする。手や足を使うのは反則で、上半身だけをぶっつけあう。だんだんと激しさを加えて押しあいをしているうちに、体じゅうが暖かくなってくるが、列から押し出されてしまうと寒さの中で立って見ていなければならないので、押し出されないようにしっかりと足をふんばり頑張った。

この遊びは、日のあたる縁側などに座ったままでもできた。また、地面に大きな円を描き、その中へ背中を中心に全員が入り、同じような歌をうたいながら、円の外へ押し出すことを競う方法もあった。人数は多ければ多いほど面白いし、体もよく暖まった。

尚、明治の頃は、おしくらまんじゅうとは言わず、「おしめ、こしめ、おされて泣くな」と言っていた。学校の廊下などで、大勢が集まり押しあいへしあいをした。

馬乗り

三人以上がした遊び、二通りのやり方がある。
  1. ジャンケンをして順番をきめる。最初に勝った者が乗り役、2番目が板塀か樹木などを背にして立ち、3番目は2番目の股の間に首を突っ込み馬になる。4番目以下は、次々と前の馬の股に頭を突っ込んでいく。そこへ1番目が走って来て馬乗りをし、立っている2番目とジャンケンする。2番目が勝つと乗り役となり、負けた1番目は最後尾の馬となり、3番目があがって立ち、ジャンケンをする役になる。こうして、次々と役を交代しながら続ける。あとから参加した者は、順番に馬となって列を長くつなぐ。
  2. 人数が多い場合、これを2組に分け対抗戦をする。それぞれの組で、乗る順番と馬になる順番を決めておく。ジャンケンをして勝った組が乗り方となるが、馬になる組の1番目は樹木にもたれて立ち、2番目以下は次々と前の者の股に頭を突っこみ列をつくる。そこへ、乗り方の組が1番から順番に次々と走って来て馬乗りになる。全員が乗ったら、両方の組の1番どうしがジャンケンをする。乗り方が勝てば、もう一度はじめから乗れるが、その際、負けた馬の組は、1番目が馬となって最後尾につき、2番目が立ち役となる。乗り方がジャンケンに負けたら、馬の組と交代する。途中、乗るのに失敗して転落する者がいたら組の全員が馬方と交代する。また、馬方が1人でもつぶされたら、ジャンケンせずに勝敗が決る。

これは、かなり荒っぽい遊びなので低学年には無理だった。馬乗りになる時、思いきり高く飛びあがって、どすんと落ち、馬をつぶそうとするわけだが、これをやられた方は、背骨や腰骨に相手の尾骶骨の尖ったのがぶちあたり、涙が出るくらい痛い思いをした。だから、馬は馬で痛いのを逃げようとして、乗り方が落ちてくる瞬間にヒョイと体を動かしたり、乗り方を振りおとそうとして大きく体をゆさぶったりした。

チャンバラごっこ

大正の末頃に、高等科の男子が集まり、米洗川の土手や横手の川岸に自生している柳の木を切りに行き、それを削って大小二本の脇差を作った。そして、その脇差を腰にさし、頭には鉢巻をして、「やあやあ、我こそは新撰組の近藤勇なり」とか「土方歳三なり、皆の者、束になってかかってこい」などと威張って名乗りをあげ、大立ちまわりを演じた。

小学校4・5年生は、上級生に誘われ、赤帽子のつばを後に向けてかぶり、斬られ役である。バタバタ斬られ、さらに起きあがっては立ち向かった。柳の木の切れはしと針金で作った十手を持っている者もいた。

しばらくすると、風呂敷を頭にかぶり覆面姿となった上級生の鞍馬天狗が、刀をふりかざし「パカパカ」と馬のひずめの音を口で出しながら颯爽と登場し、「東山三十六峰、草木も眠る丑三つ時、それをゆるがす剣戟のひびき」と口上をならべたあと、上級生どうしの戦いとなって終る。

当時は、鵤の西方、横手の山の麓の片方が松林に囲まれた土取り跡が、手ごろな広場になっていて、ここで遊んだ。