羽津の昔「子どもの遊び」

1.いろいろな遊び

(4)おもに女の子だけで
   なわとび
   高跳び
   おんじょこ(お手玉)
   おはじき
   玉つき(まりつき)
   木ななつ
   とりこ(あやとり)
   十二竹
   何色かくした
   ままごと
   人形あそび


なわとび

男子も入ることがあったが、たいていは女子だけの遊びだった。やり方は、現在とほぼ同じだが、3メートルくらいの長い縄を使った時には、次の3三通りの遊び方があった。

 
  1. ジャンケンをして負けた者2人が持ち番で、縄を回す役をする。まず縄を持った2人が調子を合わせて、波のように左右に縄を揺り動かすす。そこへ勝ち組の1番が入ると、皆んなで調子を合わせて、『大波小波で風が吹いたら』と歌う。そこまでの縄は波回しで、次に『1、2、3、4…』と数えはじめ、そこからは廻し跳びをすることになる。そして、縄が体や足にひっかかって跳べなくなるまで続ける。失敗したら、その時点で縄の持ち役となり、代わってもらった者は、勝ち組の尻について跳ぶ順番を待つ。こうして、また『大波小波・・』で次の者が縄の中へ入り、といったぐあいに続けていく。
     
  2. 最初から廻し跳びで、1人が跳んでいる途中から次の者が入って、2人が一緒に跳ぶ。そして、跳びながらジャンケンをして負けると先に出て一番後ろにつく。この時、

        おー入り   こんにちわ

        負けたら   さっさとお逃げなさい   じゃんけんぽん

    と歌いながら、歌にあわせて動く。負けた者が出た後へは次の者が入り、同じことをする。途中、跳ぶのに失敗したら縄の持ち役になる。

  3. 廻し跳びで、一回跳んだらすぐ外へ出て、その後へ次の者が空回しにならないうちに続いて入る。外へ出た者は、いちばん後につく。こうして、次から次へと縄の中へ入っては出ることを繰り返す。
    この時も、縄を体にひっかけたり、順番が来てもすぐに入れなくて空回しになったら、持ち役となる。この遊びは、とても忙しく機敏さと集中力が要求される。

高跳び

現在の走り高跳びと似ているが、棒のかわりに紐を使っていた。終戦後あたりからは、輪ゴムをいくつも結んでつないだのを用いるようになり、ゴム跳びというようになった。主に小学校の高学年の女子がした。

じゃんけんをして、負けた者2人が紐を持つ番。持ち番は紐の両端をピンと張って持ち、紐の高さを操作する。残りの者は、順々にこれを跳び、失敗したら紐の持ち番になる。

まず1年生(くるぶしの高さ)。これを全員が跳び終わると2年生(膝小僧の高さ)。3年生は手をまっすぐ下へ下げt所の高さ。次は腰、へそ、乳、あご、口、鼻、目、眉、頭とだんだんに高くなって行き、頭の上へ手をいっぱいに伸ばして掲げた所が最高となる。

低いのを跳ぶ場合は、藁草履をはいたままであるが、だんだん高くなるにつれて草履を脱いで裸足になり、あるいは着物の裾を帯にはさんで短くした。

だいたい乳ぐらいの高さになって誰も跳べなくなると、「おさえ」をすることができる。「おさえ」とは、跳びあがる瞬間に片手で紐をおさえて跳びこえることである。
「おさえ」の高さになると「女とび」をしてもよいことになる。「女とび」とは、後向きになって紐に足をかけて跳ぶこと。普通の跳び方は「男とび」と言っていた。

それよりも更に高くなると「逆とび」をする。「逆とび」というのは、地面に両手をついて逆立ちをし、足を紐にかけてから跳びこえる跳び方である。こうして、最高を跳び終わると再び1年生にもどる。高く跳べない者は、毎度、持ち役をしなければならないわけである。

当時の服は着物で、女性は下着を着けないのが普通たったし、女性用の下着そのものがまだ普及していなかった。だから、「逆とび」をする時に着物の裾がめくれあがるのが子供心にも恥しくて、股の間に着物の裾をはさんでから逆立ちをして跳んだりした。

大正2、3年ごろになると、ぼつぼつ服(現在のワンピースで、濃紺の厚手の木綿でできた粗末なもの)を着るようになり、従って皆んなズロースを穿きだした。この頃から、しだいにスポーツが盛んになってきた。

おんじょこ(お手玉)

女の子の遊びで、1人でも5、6人でもできた。昔は着物なのでどこの家にも縫った残り布があった。それをおばあさんやお母さんからもらって四角か六角の小さい袋を作り、その中に小豆や小石(粒ぞろいの子砂利)を入れて入り口をとじてできあがり。1組5個ぐらいだが、上手くなると数を増やしていった。

   「オッサライ」     1つ上にほおり上げると同時に残りをみんな手につかむ。

   「オツマミ」      上にあげたのが落ちてくるまでに指先でつまみあげる。

   「オテツプシ」     1つ1つ手の甲の上をつまんで渡す。

   「オチョン」      1つ1つつまんでは落とす。

   「オオバセクグラカセ」  小指と薬指をからませ親指とで作ったトンネルをくぐらせ、

               できるだけ遠くへとばす。みんなで通してしまったらその手を
               広げて掌を上にしてその指が、おんじょこにとどかないか
               どうかをみる。指先がおんじょこについたら駄目で他の子に
               代わる。

ここまで、できた子は良いほうで、途中で失敗したら次の子と代わる。主に外で遊べない冬によくした遊びで、学校まで持って行き休み時間に廊下や教壇の上などで遊んだ。

また、1つずつ両手、または2つを片手に持って代わりばんこに1つずつ上に投げて受けとり、その数の多い子が上手い子であった。上級生だと3個を片手でしたり、4つ5つは両手を使って代わりばんこに投げて、次々受けてはまた上げたりするので、それがうらやましくて、小さい子はよく練習した。  

おはじき

四季を通じていつでもよく、板間や畳の上などの平たい所を選んで座りこみ、だいたい小学生の女の子だけで遊んだ。

おはじきとは、直径2センチ厚さ2ミリほどのやや楕円形をしたガラス製で、赤、青、黄などの鮮やかな色が流しこんであるきれいな遊具である。この他にも、何で作ったものか分からないが、不透明な花形で同じくらいの大きさのものもあった。前者を「水晶」といい、後者を「だんご」と呼んでいた。

遊び方

じゃんけんで勝った者から始める。まず沢山のおはじきを寄せて山に盛り、それを片手で崩す。すると、おはじきは重なっていたり、間隔が広かったり狭かったり、色々な格好で散らばる。そこで、重なったものはそのままにしておき、間隔をおいて散らばったおはじきの、例えばAとBの間に、小指の先を通して(指で切る、という)から、親指ではじいて2つを打ちあてる。うまく当れば、その1つAを自分の取り分にする。残したBと隣のCとの間を指で切ってから親指ではじき、当ればBを自分のものにする。以下、CとD、DとEといったぐあいに次々と取りすすむ。

小指で切る時におはじきに触ったり、打ちそこなったりすると失格となり、次の者に代わる。次の者は残ったおはじきを全部寄せて、前と同じように散らしてから取りはじめる。これを交互に繰り返しして、おはじきが全部無くなったら、それぞれが取り分をかぞえて、多い者が勝ちとなる。

この遊びは、最初におはじきを撤く時の上手下手で勝負のほとんどが決る。撤き方が上手であれば、重なったものが少なく、また間隔も適当となり、容易に打ちあてることができる。

玉つき(まりつき)

やわらかいゴムまりを使い、だいたい女の子だけで集まっては、固くて平らな地面や板間を選んでこの遊びをした。使うボールや年齢(学年)によって4つの遊び方があった。

 
  1. 直径5~6センチくらいの小さなボールを使い、掌でついて何回つけるかを数えながら遊ぶ。これは、低学年などの初心者向き。 
  2. これも小さいボールを使う。片足をあげ、それと同じ方の掌でボールをつくのだが、足の下へボールをくぐらせ、足の内側と外側とで交互にボールをつく。これを、「一ちょ、二ちょ、三ちょ、・・」と歌いながら長く続けることを競う。空いている反対の手は、何かにつかまって体がふらつかないようにしてもよい。
     
    傍で見ている者も、大声で一緒に歌って遊んだ。
     
  3. 片足を前にあげ、その足の外側で小さいボールをつき、弾んだボールを中心に円を描くように、あげた方の足を回し、またボールをつく。この動作を早く長く連続させる。足がボールに触ったり、ボールをつきそこなったりしたら失格となる。その際に歌った歌は次のようなものであった。

       お一でお一で   一回     と歌いながら足を一回まわす

       お二でお二で   一回二回  と歌いながら二回まわす

                以下おなじ

       お三でお三で   一回二回三回

       お四でお四で   一回二回三回四回

       お五でお五で   一回二回三回四回五回

               以下、お十まで数える。

      
  4. 直径20センチくらいの今のバレーボールほどの大きなボールを使う時は、片足の爪先で軽く小刻みに叩きつける。そのとき、踵が地面についたり、ボールが転がっていってしまうと失格で、次の人と交代する。この遊びは、低学年ではちょっと難しい。

昔は、板間やらコンクリートやらの固くて平たい所はめったになくて、板間といえば学校の講堂か廊下またはお寺の縁側くらいのものだった。コンクリートとかタタキなども珍しく、舗装してある所は、全くなかった。講堂には勝手に入れなかったし、廊下は晴天の日には使えず、雨天でも狭くて思うように遊ぶことができなかった。

だから、学校が退けると、晴天にはもちろん雨の日にも皆んながお寺に寄り集まり、大きい子も小さい子も一緒になって遊んだ。外へ出られない時には、家の庭やカドでまりつきをした。

庭とは、家の表口へぬける通しの土間のこと。カドというのは、家の軒先の広い場所のことで、昔の農家では、籾や豆などを天日で乾かすために、こうした広く平たい空間があけてあった。

  

木ななつ

これは、図のような横が6センチ、縦が8センチくらいの木製で、表には碁盤の目のような線の切り込みが入っており、これを割ると一辺が2センチくらいの正立方体の駒ができた。駒は、それぞれ3個ずつ白、黄、赤、緑の4色に色分けがしてあり、その1つずつには小さな花模様が彫られていて、大変にきれいなものだった。これを、村のよろず屋で買ってきて、家で12個に割り離したものを使って遊んだ。女の子だけの遊びであった。

遊び方

12個の駒と小さいボールを使う。ボールを片手に持って上にあげ、それが下に落ちて弾んだのを手に受ける間に、駒を軽くばらまく。

次に、同じくボールをあげ、手に受けるまでに、裏がえしになった駒を表にむける。全部の駒が表になったら、またボールをあげて、今度は駒を2段に積む。2段積みに成功したら、ボールを使いながらそれをバラバラにし、再び駒を表にそろえて3段積みに挑戦する。3段、4段となると、手早く正確に(正確でないと積んでもすぐに壊れてしまう)積まなければならないので、大抵は途中で失敗し、次の者と交代することになる。

また、ボールを受けそこなったり、手に受けるまでに積めなかったりすれば失格である。

とりこ(あやとり)

日脚の短い冬になると、申しあわせたように「とりこ」が始まった。昔は、あやとりのことを「とりこ」といった。

家の軒先や学校の廊下などで日なたぼっこをしながら、色んな模様を編みだした。1人でするのと、2人で向いあって取りあいっこをするのとがあった。

「川」、「ひし」、「はしご」、「かえる」、「電気きえた」、「きっこうまっこう臼すれよ」など、沢山のとり方があった。

十二竹

羽津には竹薮も多かった。子ども同士で藪へ行っては、竹を切って来た。節と節の間を、長さ15センチメートルぐらいに切り、幅は1センチメートルほどに割り、両面をけづって滑らかにする。裏側に一月、二月、三月と十二月まで絵のように書いた。

あそび方は、その竹を12本とも手につかみ、手のひらをかえして手の甲の上に乗せる。乗った竹を1本づつ表なら表、裏なら裏と手を動かしながら床に並べていく。これは、なかなか難しく表にしようと思っても、裏になって落ちたりして揃わない。上手に並ぶと、一月から順に竹を減らしていくのでだんだんやりやすくなる。自分たちで作った十二竹を学校へ持って行き、寒い冬の外で遊べない休み時間に、日当たりのよい廊下などで高学年の女の子が集まって遊んだ。

何色かくした

昔の女の子は着物を着て、その上に前が汚れないようにメリンスの前掛けをしていた。メリンスの柄は、当時としてはハイカラで、何色も使った美しい模様の前掛けをした子もあった。

そういう子のなるだけ込みいった模様の前掛けを使い、一人がある部分をつまむ。そして、「何色かくした?」と他の子に聞く。聞かれた子は、「○色」と答え、つまんだ部分に隠された色をあてるというだけの単純な遊びだったが、「とりこ」をして飽きた時などに日なたぼっこをしながらこんなこともした。

ままごと

ままごとのことを「ままやん」と言っていた。主に女の子だけでやった遊びだが、時には小さい男の子を仲間に入れることもあった。

そして、それぞれに「おとっつあん」、「おかやん」、「にいやん」、「ねえやん」、「じじやん」、「ばばやん」の役を振り当て、木の葉の碗や皿に土や草花で作った料理をのせて、飲食のまねごとをした。

地面に敷くムシロを一枚持っていけば、何処ででも出来る実にたわいない遊びであるが、それでもお互いが勿体ぶった顔をして自分の役を演じた。

人形あそび

冬の寒い日や、他の季節でも雨の日など表で遊べない時に、小さい女の子たちがやった。昔は玩具らしい玩具はひとつもない時代だったし、現在のような立派な人形は、一般の家庭では滅多に買ってもらえなかった。だかrた、めいめいが自分で人形を作り、それを持ち寄っては、楽しく遊んだ。

人形といっても、白い布に古綿などを入れて糸でかがり、それを頭の部分とし、ありあわせの布ぎれとか風呂敷などを着せただけの粗末なものだった。それでも、それをとても大切にして、抱いたり負ぶったり、あるいは座布団に寝かせたりして遊んだ。