羽津の昔「子どもの遊び」

1.いろいろな遊び

(5)自分達で遊具を作って
   タコあげ
   竹馬
   パカパカあそび
   竹輪まわし
   金輪まわし
   水鉄砲
   朴鉄砲
   紙鉄砲
   杉鉄砲
   竹鉄砲
   弓あそび
   竹トンボ
   竹の羽まわし
   ゴムかん
   竹笛
   その他


タコあげ

正月を中心にした冬の風が強い日には、タコあげをした。タコの種類としては、角ダコ・扇ダコ・釜ダコ・奴ダコ・虹ダコなどがあった。

これらのタコは、村の雑貨屋で売られていたが、複雑な骨組みのタコでも自分で器用に作る子も多かった。中には、一辺が1メートルくらいの大きな角ダコを作る者もいた。

上手なタコあげの条件は、すべて糸のかけ方にあり、それが上手いと尻尾をつけなくても回転したりすることはなかった。昔は、電線も少なかったから、どこでもタコあげはできたし、上手になると100メートル以上もの高さにあげた。高くあがったタコを相手のタコにぶっつけたり糸をからませたりして落としあいをすることもあった。

糸は、富田の製網所などで、もつれて使えなくなった木綿の紐を安くわけてもらって使ったりした。麻糸は丈夫だが、値段が高くて手に入れることは難しかった。

竹馬

冬に、竹やぶから適当な太さの竹を切ってきて、自分で作った。足をのせる台を縛るのには、縄も使ったが、たいていは山からとってきた藤の蔓を利用した。縄を粗末に使うと、親に叱られたからだ。

竹馬の乗り方には色々とあった。上達すると、屋根の廂にとどくほどの高さで乗る者もいたし、片足でケンケンをしたり、「兵隊さん」といって、片方の竹馬は肩にかつぎ、もう片方だけで歩くのもあった。竹馬のかけっこもあったし、落としあいっこもした。

足の親指と人さし指のあいだで竹の棒を強く挟んで乗るので、指の付け根が痛くなるのが辛かった。

パカパカあそび

昔も今も、全国各地で行なわれ、運動会にも取りいれられているのをあちこちでみかける。一年中、屋外なら何処ででもできるし、男の子も女の子も小学生の全体が遊べた。

現在より昔のミルク缶は小さかったので、捨てられた空缶をもらい、真中に穴をあけ細縄を通して手の届く程度の長さにした物を2個つくった。その上に足をのせ、細縄を両手でひっぱり持って歩いたり、かけ足で競争したりした。

パカパカと音がしておもしろく、女の子が縄とびしている所へ走っていくと、キャアキャア言って逃げるので面白がってやった。

竹輪まわし

主に男子の遊び、1人でも遊べたし、2人以上で競争したりもした。

昔は、どこの家でも桶を使っていた。その桶がこわれてしまった時に残る「たが」をもらい、それを八番線より太い針金の先を曲げたもので押して回して走った。手に持つところには、竹をはめたり、布をまいたりして持ちやすいように細工した。

要領をつかむまではなかなか難しく、上手く回すことができなかった。時々ささくれだった竹のトゲが手や指につきささり痛い目をしたが、それにもかまわず性懲りもなく遊びつづけた。

金輪まわし

小学校高学年の男子のみが一年中いつでも屋外であそんだ遊びだ。

乳母車や自転車のリムの古いのを、近くの自転車屋で分けてもらって、八番線の針金のような「ゴコウ」を金槌でたたいて車輪からはずし、それを細い竹で押しながら回して走るのである。

初めは輪がぐにゃぐにゃ曲って思うように進まないが、速度がでるとたやすく走れるのである。小さい乳母車の輪廻しは押して走るのに簡単であるが遅い。自転車のリムの輪まわしは早いがなかなか難しかった。

水鉄砲

夏の水遊びである。直径が4~5センチで長さが30センチぐらいの竹筒と、先に布をまきつけた押し出し棒があればよい。水の飛びだし口には、細い釘で小さな穴をあけておく。

小学生の竹細工のひとつだが、今のように市販されていなかったから自分たちで作った。これを持って、水のかけあいをするのも面白かったが、それよりもやぶから竹を切ってきて作ることが楽しみで、作ってしまうと弟や妹にやることが多かった。

朴(ほう)鉄砲

小学校低学年から高学年までの男子の野外での遊びである。雌竹を切り、鉄砲を作って射ち合いをする。顔にあたってもそれ程痛くなく、けがもしない。ピストン式の空気銃であるから、発射の瞬間、ポンと景気の良い音がして玉が飛び出せば大成功であった。

隣村の阿倉川境の「いぬなし」の東の昼なお暗い竹薮に、良い雌竹があった。当時の羽津山の子どもは、ガキ大将を先頭に竹鋸を持ち出して取りに行くのだが、あの辺りは天狗さんが出ると言って恐れられており、先輩は自分の必要な分だけ取ると、「それ出た-」と逃げだすので、チビさんたちは手ぶらでその後をついて走って帰るのがやっとだった。雌竹はなかなかの貴重品で、それを材料に低学年の子どもでも上級生の真似をして自分で作った。

天狗云々というのは、天狗が山伏の格好をしていることと「いぬなし」の南五十メートルぐらいの所に明治年間まで「観蔵院」という山伏寺があっって、山手中学との間の森の中に山伏の墓が一基残っていることとを結びつけたものらしい。

紙鉄砲

朴鉄砲と同じ。玉にする朴の実がなっていない季節に、紙を噛んで丸めて代用したのが紙鉄砲である。

古い障子紙や新聞紙など、紙なら何でも口に入れて、むしゃむしゃと噛んだ。

杉鉄砲

朴の実のかわりに、杉の実を使ったものである。原理は全く同じだが、こちらは細い笹竹を使い、長さも10センチくらいと短い。

こまかい杉の実をこめて射つと、プチンと可愛い音がした。だが、音の小さいわりには、顔などの柔らかい所にあたると痛かった。痛いだけで怪我する心配はない。だから、心おきなく相手をめがけて射ちあうことができた。そのあげく、本気の喧嘩となり、とっくみあいをして、せっかく作った杉の鉄砲をへし折られてしまうこともあった。

口の中へ杉の実をいっぱい入れておき、それを一つずつ出して次々と鉄砲につめた。

竹鉄砲

淡竹という太目の竹を二節ぐらいの長さに切り、一方には節をつけ、一方は穴を通しておく。他に、竹を割って削り、弓になるものを作る。そして、図のように、溝をあけた丸竹に弓をさしこんだら、完成である。

玉には、朴の実とか小石を入れる。弓の反動で玉が飛出すしかけであるが、たわめた弓をはなした時、溝の先にあたってポンと高い音が出た。

弓あそび

割った竹を削って弓を作った。弦には、太くて丈夫な紐や針金を使った。矢は、細い笹の茎を適当な長さに切って作った。なるべく真っ直ぐで軽いものをさがしてきた。

この自家製の弓を持ち寄って、遠くへの飛ばしあいをしたり、命中を競ったりした。時々、矢がとんでもない方向へ飛んでいったりするので、とても危険な遊びであり、先生や親からよく注意された。

竹トンボ

竹を割って、10センチから15センチくらいの長さに切り、小刀で削って、両側にプロペラのような反りをつけた羽根を作った。

そして、中央に1つ穴をあけて心棒を羽根に固定する場合と、2つ穴をあけ、羽根だけが飛んでいくようにする場合があった。

2つの穴の場合、下手をすると羽根が自分の顔に飛んできたりするので、学校から禁止されたこともあった。1つ穴の場合でも、他の子どもにあたることがあった。

竹の羽まわし

竹トンボの半分くらいの長さの羽根をつくり、中央に2つの穴をあける。この穴に糸を通して、輪に結ぶ。そして、糸の両端をもって、羽根をくるくるとまわしながら撚りをかけたあと、これを引っぱると羽根はビュンビュンとうなりをあげて連続的に回る。

竹の羽根の代わりに普通のボタンを使ってもできるが、当時の雑貨店には、これ専用のボタンを売っていた。

ゴムかん

山などへ行って、二股になった木の枝を切ってくる。その二股の先にゴムの管をくくりつけ、管の中央には、皮か布で玉をはさむ部分をつけて出来上がりである。玉は、主に小石を使った。ゴムの管を引きしぼり、ねらいをつけてはなすと、小石は勢いよく飛んでいく。

ゴムの管は、薬屋で買ってきた。これは、赤ん坊が哺乳ビンからミルクを飲む時の管として売られていたのであり、一尺(30センチ)とか二尺とかに切ってもらって買ってきた。

ゴムかんの上手な者は、雀をねらって射ち落としたりしたが、多くの者は、よその家の板塀などを標的にしては、しばしば叱られた。

竹笛

太めの雌竹(女竹)を切ってきて、横笛もタテ笛も作った。

タテ笛は、一方は節をつけて、他方の吹き口はいくぶん斜めに切る。そして、吹き口を半分にする形で切り込みを入れ、そこに笹の葉をはさみこむ。節の近くには、適当な穴を1つあけておく。これを吹くと、吹き口にはさんだ笹の葉が振動して音が出るというしかけである。

横笛は、やはり一方にだけ節をつけ、その近くに1つの穴をあけて、これを吹き口にする。そして、吹き口から少し離れた所より、順番に5つの穴をあける。これは、指で押えて音階を調節する穴である。これの作り方のうまい子になると、祭りのときに使う笛と音色も殆んど変わらない立派なものが出来上がった。

竹に穴をあける時には、火箸を真っ赤に焼いたものを押し当てて貫き、あとは小刀でまん丸い穴に仕上げた。

その他

糸巻きの駒を用いたタンク、どんぐりの独楽、紙ひこうき、種々の折り紙など、自分たちで道具を作って遊んだものは、まだまだ多い。

上級生ともなると、たいていの子は、いつも小刀を懐やポケットに入れて持ち歩いていた。そして、道ばたなどで手ごろな竹や木をみつけると、その小刀を器用に使って、思いついた色々な物を作った。