羽津の昔「子どもの遊び」

2.わらべ歌とことばの遊び

   一で伊勢の大神宮      ウリ売りがウリ売りに来て
   一番はじめは一の宮      みかんきんかん
   向こう横丁のお稲荷さんへ      そーだそーだそーだ村の
   山寺の和尚さんが      亥の子の晩に
   いもにんじさんしょしいたけ      高野の弘法大師
   あんた方どこさ      正月っあんええもんや
   高い山から谷底みればの      大寒小寒
   この子器量よし      つづれさせコモさせ
   郵便屋さん走らんせ      まいまいこんぼ
   一でたちばな      蛙とろとろ
   おんじょこ歌      雀チュウチュウ忠三郎
   かごめかごめ      もずもずキッチキチ
   いもむしこおろころ      泣き虫毛虫
   タコタコあがれ      痛けりゃイタチの
   とっりんかっちん鍛冶屋の子      田市場たのき
   子どもと子どもがけんかして      ○○のガイラ
   極楽の道 地獄の道      あいついやらし
   子守り歌      まねしまんざい米もらい
   一かく二かく三かく四角      わしのおかやん
   さよなら三角      男と女と遊ばんもんや
   おっ月さんいくつ      屁こきゃ三つの徳がある
   スズメはチュウチュウ鳴いている      イボイボうつれ
   月夜の晩に      鼻高こなあれ

昔の遊びには、わらべ歌を伴っているものが多く、従って、わらべ歌だけを切り離して取り上げることはできない。ここに上げた歌も、多かれ少なかれ身体的な動きと一体となっており、分類上、前項の「いろいろな遊び」の中へ入れるべきものが少なくない。

もちろん、語呂あわせや尻とりなど、言葉の言いまわしそのものを楽しむ場合も多かったのだが、その多くは忘れられ、拾いだすことができなかった。

尚、前項にて既出のものについては、重複を避けて、ここには掲げていない。

 
音声コントローラが表示されているものについては、音声データを聴くことができます。
ここに収録した音声データは、昭和63年から平成元年にかけて、三重県教育委員会が実施した民謡緊急調査で収録されたものです。平成24年度の「羽津学」で、民謡緊急調査の際に実際に収録に当たられた久志本まどかさんから、その一部が紹介されました。その際、久志本さんに音声データ使用のお願い致しましたところ、三重県教育委員会の許可を取った上で、音声データを提供していただきましたので、ここに掲載し公開しています。

歌を歌っておられるのは、次の方々です。
   須藤 千代  (羽津山町)  1910年(明治43年)生まれ
   森 田鶴子  (城山町)  1913年(大正2年)生まれ
   森 とみゑ  (城山町)  1913年(大正2年)生まれ
   大森 みつゑ  (羽津町)  1914年(大正3年)生まれ

一で伊勢の大神宮

  一で伊勢の大神宮  二で日光東照宮
  三で讃岐の金比羅さん  四で信濃の善光寺
  五つ出雲の大社  六つ京都の六角堂
  七つ奈良の春日さん  八つ八幡の八幡さん
  九つ小倉の権現時  十でいっこんかしまーした。

一番はじめは一の宮

  一番はじめは一の宮  二は日光東照宮
  三は佐倉の宗五郎  四はまた信濃の善光寺
  五つ出雲の大社  六つ村々鎮守様
  七つ成田の不動さん  八つ大和の法隆寺
  九つ高野の弘法さん  十で東京の泉岳寺
 
   歌 : 森 田鶴子
 

向こう横丁のお稲荷さんへ

  向こう横丁のお稲荷さんへ  一銭あげて
  ちょっとおがんで お仙のお茶屋へ
  腰をかけたら  渋茶を出して
  渋茶よこよこ横目で見たら
  お米のだんごか  お土のだんごか
  おだんごだんご  このだんごを
  犬にやろうか  猫にやろうか
  とうとう  とんびにさらわれた
 
   歌 : 森 田鶴子
 

山寺の和尚さんが

  山寺の和尚さんが まりはつきたし まりはなし
  猫を紙袋にどしこんで ポンと蹴りゃ ニャンと鳴く
  ニャンと鳴きや ポンと蹴る オニャニャのニャン
 
   歌 : 森 田鶴子
 

いもにんじさんしょしいたけ

  いもいもいもいも にんじにんじいもにんじ
  さんしょさんしょいもにんじさんしょ
  しいたけしいたけいもにんじさんしょしいたけ
  ごんぼごんぼいもにんじさんしょしいたけごんぼ
  どんぐり・・・・・・    七面鳥・・・・・・
  初茸・・・・・・     栗・・・・・・
 
   歌 : 大森 みつゑ
 
いずれも手まり歌である。これらの歌を一緒に歌いながら、まりをつき、誰が一番長くついていることができるかを競った。

あんた方どこさ

  あんた方どこさ  肥後さ  肥後どこさ  熊本さ
  熊本床さ  船場さ  船場山には狸がおってさ
  それを猟師が鉄砲でうってさ
  煮てさ  焼いてさ  食ってさ
  骨を菜の葉で、チョイトかぶせ
 
   歌 : 森 とみゑ
 
同じく手まりつきの歌である。「さ」の時に、その都度片足を上げて、その下へ手まりをくぐらせる。最後の「チョイトかぶせ」では股の間をくぐらせ、「せ」の時に両手を後ろに回して、着ている「はんこ」の裾を持ちあげ、その中へ手まりを包みこんで捕まえた。

高い山から谷底みればの

  高い山から、  谷底見ーればの
  瓜やなすびの  花ざかりよ
  はりわいどんどんどん  これわいどんどんどん
 
   歌 : 大森 みつゑ
 
本来は、大人たちが歌った地つき歌であったが、それを真似した子どもたちが、盛んに歌ったものである。女の子たちがまりつきをする時にも、この歌を歌っていた。

この子器量よし

  この子 器量よし 卵に目がある
  さぞや お母様うれしかろ・・・・・・・・・・・
 
   歌 : 大森 みつゑ
 
これも、玉つき(まりつき)の歌である。この後にも文句が続いていたが忘れられてしまった。

郵便屋さん走らんせ

  郵便屋さん 走らんせ
  もうかれこれ 十二時や (それ)
  オイチニ オイチニ オイチニサン
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ
 
なわとび歌である。「郵便屋さん」から「十二時や」までは、大波小波のやり方で、二人の持ち役が縄を左右に揺さぶり、「それ」で大回しに移り、その中へ一人ずつが次々と入っては跳んで、出ていくという要領であった。

一でたちばな

  一で  たちばな  二で  かきつばた
  三で  下がり藤  四で  ししぼたん
  五つ  飯山の千本桜  六つ  紫桔梗に染めて
  七つ  南天  八つ  山吹の
  九つ  小梅をちらしゃに染めて
  十で  殿様お馬にのーせて
  竹に雀は仙台さんのご紋
  おしとろろー  おしとろろー
 
   歌 : 大森 みつゑ
 
これは、「せっせっせ」と同じやり方で手遊びをする時に歌ったものである。

おんじょこ歌

  二月三月花ざかり  うぐいす鳴いた春の日の
  楽しい時も夢のうち
  五月六月実がなれば  枝からふるいおとされて
  近所の町に売り出され  何升何号はかり売り
  もとより酸っぱいこの体
  塩につかって辛くなり  シソに染まって赤くなる

  七月八月  暑い頃  三日三晩の土用干し
  思えばつらいことばかり  それも世のため人のため
  シワが寄ってもこの私  小さいあなたのお友だち
  運動会にもついていく  まして戦のその時は
  なくてはならぬこの私  なくてはならぬこの私
 
   歌 : 森 とみゑ
 

  いちれつだんぱん破裂して  日露戦争はじまった
  さっさと逃げるはロシアの兵  死ぬまでつくす日本兵
  五万の兵をひきつれて  六人残してみな殺し
  七月八月の戦いは  ハルピンまでも攻めいって
  クロアパトキンの首をとり  東郷大将ばんばんざい

  一かけ二かけ三かけて  四かけて五かけて橋をかけ
  橋のらんかん手を腰に  はるか向うをながむれば
  十七八の姉さんが  花と線香手に持って
  姉さん姉さんどこいくの  私は九州鹿児島の
  西郷隆盛娘です  わたしは九州鹿児島へ
  切腹なされた父上の お墓参りにまいります
 
   歌 : 森 田鶴子
 
上の三つは、いずれも「おんじょこ」をする時の歌である。上手な子になると、この歌を歌いながら、四つも五つもの「おんじょこ」を操ることができた。
二番目の歌は、日露戦争の後にできたものと思われるが非常に殺伐とした内容で、現在からすれば少なからぬ抵抗が感じられるのであるが、当時の子供たちが、深い意味は解らないながらも、現実に歌ったものである。
一番目の歌にしてもそうであるが、戦争への動きは、当時の子供たちの世界にも色濃く影を落していた。

  ひに ふに みに よに いつつ むつ なーや
  この とうで 十一 十二 十三 四五六
  おくーが 四六で ちゃわん五ん十で
  ちやろく七十で ちやくが九十なら この百ほった
  
  ひいー ふうー みいー ようー いつー むうー
  なな やあー ここで とん(十)を ひいー
  ふうー みいー ようー いつー むう なな
  やあー ここで 二十を ひいー ふうー みいー
  ようー  ・・・・・・   三十を ・・・・・・
これも、おんじょこをする時の歌であるが、明治の頃のものというから、前出の歌よりは古いと思われる。

かごめかごめ

  かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
  夜明けの晩に 鶴と亀がすーべった
  後の正面だあーれ
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ
 
  
遊び方は、「中の中の子仏」と同じである。全国的に分布する歌であり、実際に当地でもやられた遊びである。

いもむしこおろころ

  いもむし  こおろころ
  ひょうたん  ぽっくりこ
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ  
 
集まった子が一列にならんで地面にしゃがみこみ、前の子の腰のあたりをつかむ。そして、この歌を歌いながら、列が切れないように体を左右に揺すって前進するという遊びであった。

タコタコあがれ

  タコタコあがれ
  天まであがれ
  水くんであがれ
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ
 
  
凧揚げをする時に歌ったもの。「水くんであがれ」というのは、空中で回転して落下しそうになった凧が再び勢いを増して上昇していく様子が、ちょうど水を汲んで上がっていくように見えたからである。

とっちんかっちん鍛冶屋の子

  とっちん かっちん  鍛冶屋の子
  はだかで飛びだす 風呂屋の子
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ   
 
これは、短い丸太などを支点にして、その上に板をのせた即席のシーソーをする時に歌った歌である。

子どもと子どもがけんかして

  子どもと子どもが喧嘩して
  親さん親さん腹を立て
  人さん人さん寄りおうて
  なかなかすまんとおっしゃって
  薬屋さんにとめられた
 
   歌 : 大森 みつゑ
 
指遊びの歌である。子どもは小指、親さんは親指、人さんは人差し指といった具合に、両手の指を歌の順番にあわせてくっつけていく遊びであった。
  子どもと子どもと喧嘩して
  親さん親さん腹が立つ
  そんなに腹が立つなれば
  人さん人さん寄りおうて
  長太郎さんの
  仲なおり 仲なおり
これも、前出のと同じ指遊びの歌であるが、言い回しが少し違っているし、薬指も抜けている。明治の頃のものである。

極楽の道 地獄の道

  極楽の道
  地獄の道 針の山にー
これも、指遊びの一種である。両手の指を組みあわせて裏返し、掌を上に向けると「極楽の道」で、手の甲を上にして十本の指をピンと立てると「地獄の道」になり、立てた指を動かして「針の山やにー」と言って相手をおどした。
この他に、人さし指に中指を負わせ、中指には薬指、薬指には小指をといった具合に次々と負わせていく指遊びもあった。こうして出来あがった形が生姜に似ているので、「しょうが、しょうが」と言って、形の比べ合いをした。

子守り歌

  ねんねころいち 天満の夜市
  大根そろえて 舟に積む
  舟に積んだら どこまでいきゃる
  大阪天満の 橋の下
  橋の下には 蛇がおるげなが
  こわい蛇じゃげな 嘘じゃげな

  ねんねころりよ 天満の夜市
  大根そろえて 舟に積む
  舟に積んだら どこまでいきゃる
  わたしゃ丹波の 橋の下
  橋の下には 蛇がおるげなが
  それは蛇じゃげな 嘘じゃげな
  ネンネン ネンネン ネンネン ネー
  ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヨイ ヨー
 
   歌 : 大森 みつゑ
 
  ねんね ねんねと寝る子がかわい
  起きて泣く子はつらにくい
  ねんねしたなら 赤いべを着せて
  明日はこの子の宮まいり
  宮へ参ったら 何というて拝も
  この子一代 まめなよに

  ねんねしなされ 今日は二十五日
  明日はお前の宮まいり
  宮へ参ったら 何というて拝も
  この子一代 まめなよに
  ネンネン ネンネン ネンネン ネー
  ヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヨイ ヨー
 
   歌 : 大森 みつゑ
 
  ねんねころりよ おころりよ
  坊やは良い子だ ねんねしな

  坊やのお守りはどこへいた
  あの山越えて 里へいた

  里のおみやに何もろた
  でんでん太鼓に笙の笛

  鳴るか鳴らんか 吹いてみよ
  鳴ったら寝た子にもろてやろ

  ねんねころりよ おころりよ
  明日はぼうやの 宮参り

  宮へ参ったら なんというて 参る
  ぼうや一代 まめなよに

  白いままも 炊いといて
  赤いままも 炊いといて
  くっくめくっくめ みな食わそ
  ねんねしなされ 寝る子はかわい
  起きて泣く子はつらにくい
  ねんねこしゃっしゃりなー
  ねんねんよー
 
   歌 : 須藤 千代
 
  ねんねんよいよー ねんねんよいよー
  ねんねんころりゃ ねんころやー
  ねんねんころりゃ ねんころやー
  ねんねんころりゃ ねんころやー
  ○○のお守りはどこ行った あの山越えて里行った
  里のみやげに何もろた でんでん太鼓に笙の笛
  でんでん太鼓はどこやった お寺の縁においてきた
  お寺のおばさん何してじゃ

  赤っかい頭巾 縫ってじゃった
  ○○にかぶしょ ねんねんよいよー

  ねんねしなされ 寝る子は可愛い
  背で 子は泣く 日は暮れる

  この子よう泣く ぜんたいよう泣く
  乳がたらんか 乳ばなれか

  この子よう泣く いすればだまり
  いすり持ちあげ できた子か

  北のはしから 南の町まで
  うとうて歩くは 守りの役
すべて子守り歌である。昔は、男の子も女の子も、小さい弟妹がいると必らず子守りをさせられた。特に、女の子は少し大きくなると、モリコといってよその家の子守りに雇われるものも多かった。
だから、遊んでいる時でも、赤ん坊を背なかにくくりつけている子がたくさんいた。いつも赤ん坊を負うている子は、たいてい出っ尻になっていたものだ。
モリコにならない場合、9歳になるかならないかで製糸工場へ働きに出た女の子もいた。垂坂の五島製糸や別名にあった森製糸へ雇われていったのである。

一かく二かく三かく四角

  一かく二かく三かく四角
  四角はとうふ とうふは白い 白いはうさぎ
  うさぎは跳ねる 跳ねるはカエル カエルは青い
  青いはバナナ バナナはむける むけるはミカン
 
   歌 : 森 とみゑ
 
  
今でも耳にする「しりとり歌」であるが、最後のところで少々下品な方向へ落ちていくようになっている。それが子供の性的好奇心をくすぐって面白く、大人の顰蹙(ひんしゅく)をかうと余計に大きな声をあげて歌った。この歌は、まだまだ続くのだが…。

さよなら三角

  さよなら三角 また来て四角
  四角は豆腐 豆腐は白い 白いはうさぎ
  うさぎは跳ねる 跳ねるはノミ ノミは赤い
  赤いはほうずき ほうずきは鳴る 鳴るはおなら
  おならはくさい くさいは便所 便所は高い
  高いは空 空は青い 青いは海 海はひろい
  ひろいは世界 世界はまるい まるいはまり
  まりはあがる あがるは飛行機・・・・・・・・
 
   歌 : 森 とみゑ
 
  
これも同じような歌だが、ワイセツな方向へはいかずに、どこまでも連想が続いていくようになっている。

おっ月さんいくつ

  おっ月さんいくつ 十三七つ
  まんだ年しゃ若いな
  あの子を産んで この子を産んで
  だあれに抱かしょ
  お万に抱かしょ お万はどこ行った
  油買いに 茶買いに
  油屋の縁で すべってころんで 油一升こぼした
  その油どうした
  太郎どんの犬と 次郎どんの犬と
  みんな なめてしもた
  その犬どうした
  太鼓に張って あっちのほうでも どんどんどん
  こっちのほうでも どんどんどん!
 
   歌 : 大森 みつゑ
 

すずめはチュウチュウ鳴いている

  すずめはチュウチュウ鳴いている
  カラスはカアカア鳴いている
  障子が明るくなってきた
  早く起きぬと遅くなる
  着物を着替え 帯をしめ
  手水をつかい 口すすぎ
  きれいになったら おはようと
  朝のお礼をいたします
  ごはんも ていねいによく噛んで
  紙や手拭い忘れずに
  さっさと行きます 学校へ
  急いで歩いて 遅れずに
 
   歌 : 大森 みつゑ   
 
いつともなしに歌ったわらべ歌である。二番目のは、一見、学校で習わされたような感じがするが、そうではなくて、おばあさんに教えてもらって覚えた歌である。

月夜の晩に

  月夜の晩に 火事出して
  水持ってこーい 木兵衛さん
  金玉おとして 泥まるけ
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ   
 
月曜日から土曜日までを読み込んだコトバ遊びである。これも最後のところにオチがついているので、特に男の子に人気があった。

ウリ売りがウリ売りに来て

  ウリ売りが ウリ売りに来て
  ウリ売らんと 売り売り帰るウリ売りの声

みかん きんかん

  みかん キンカン わしゃすかん
  子どもにラクガン なおきかん

そーだそーだそーだ村の

  そーだ そーだ そーだ村の村長さんが
  ソーダ飲んで 死んだそーだ
  葬式まんじゅう うまいそーだ
  あんが入って うまいそーだ
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ
 
  
これらは、○○づくしといった類のことば遊びである。同じ言葉が次々と出てきて調子がよいので、みんなで声を合わせて言い合いっこをした。

亥の子の晩に

  亥の子の晩に 重箱ひろて
  あけてみたら ほかほかまんじゅう
  にぎってみたら 十兵衛さんの金玉
 
   歌 : 大森 みつゑ、森 とみゑ
 
11月の「亥の子まつり」の時に歌ったものだが、語呂合わせになっているのと、最後にオチのついているのが面白く、普段の日でも、子供たちの間で盛んに歌われたものであった。
尚、ここに出てくる十兵衛さんとは、今から290年程前、当地の灌漑事業に大きな功績をのこして殉死した荒木十兵衛さんのことで、この歌はその十兵衛さんを讃えるものであったという。

高野の弘法大師

  高野の弘法大師 子抱いて
  粉を挽いたら 子の目へ 粉が入って
  こんなことはもう こまる
  
歌の文句の頭に「こ」が付いているので語呂がよく、それを面白がって歌った。

正月さんええもんや

  正月さん ええもんや
  赤っかいぺぺ着て 足袋はいて
  下駄の歯のような餅食って 油のような酒飲んで
  ごんぼのような糞たれた
 
   歌 : 須藤 千代
 
  
正月の歌である。本来は、もう少し上品な内容になっていたと思われるが、ここでは絶対に上品とはいえないオチがついたものとなってしまっている。

大寒小寒(おおさむこさむ)

  大寒 小寒 山から小僧が泣いてきた
  餅のひとつも くれてやれ

  大寒 小寒 山い ずっきんおいてきて
  取りに行くか寒いし 戻るも寒いし
  もう ここらで死んでくりょ
 
   歌 : 須藤 千代
 
当地では、冬の寒風を北風と呼ばずに、西風と言っていた。この西風がビュンビュン吹きまくり、雪やアラレも降りだして、寒くてじっとしていられれない時に、これらの歌を大声で歌いながら、あちこちをわけもなく走りまわったのである。
「ずっきん」とは、頭巾のこと。また、「戻るも寒いし」の後「もうそこらでほっとけほっとけ」と続ける言い方もあった。

つづれさせ コモさせ

  つづれさせ コモさせ 早よ寒なるぞ
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ
 
  
コオロギの泣き声がこのように聞えると言った。そして、「コオロギが鳴いとんで、早よつくろい物せんならん」と言って、大人たちは冬支度を急いだ。

まいまいこんぼ

  まいまいこんぼ くるこんぼ
  くるくるまわって 目をまわせ
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ   
 
まいまいこんぼとは、ミズスマシのことで、これを捕まえる時、水を手でかき回しながら、この歌を歌ったのである。

蛙とろとろ

  蛙とろとろ
  親の乳より うまいもん喰わしょ
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ
 
  
蛙つり草やヒエの穂先で蛙を引き寄せ、釣り上げる時に歌った。手に持ったヒエの穂先を蛙の目の前でチョイチョイと動かすと、それを見た蛙がパクッと口開けて飛びついてきたのである。

雀チュウチュウ忠三郎

  雀チュウチュウ 忠三郎
  烏カアカア 勘三郎
  トンビは富田の鰯売り
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ
 
  
秋の夕暮れ時、ねぐらへ帰るカラスをみた時などに自然とこんな言葉が口について出てきたものだ。鰯も秋のもので、富田の方から獲りたての鰯を売りに回ってきたのであった。

もずもずキッチキチ

  もずもず キッチキチ
  あした天気になあーれ
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ   
 
もずが鳴く日は、天気が良いと言われていたので、その鳴き声を聞いた時に、うれしくなってこの歌を歌ったのである。

泣き虫 毛虫

  泣き虫 毛虫 はさんですてろ
  今泣いたカラスが ちょっと笑ろた
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ   
 
小さい子が泣きだした時に、これをあやそうと節をつけて歌ったもの。自分が泣かしたことがばれると、親にきつく怒られるので、何とか早く泣き止まそうと苦心したものだった。

痛けりゃイタチの

  痛けりゃ イタチの糞つけよ
  まんだなおらな まんの糞つけよ
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ
 
  
ちょっと痛い目をしただけで泣きだす弱虫をはやしたてる時に、みんなが声を合わせて言った言葉である。
イタチは、たくさん棲息していて、すばしこく道を横切る姿を頻繁に見かけたものだ。このイタチが、ちょうど着物の懐に入る方向、つまり右から左へと「道切り」した時には、「今日はふところに入ったで、ええことがある」と喜び、逆に左から右だと幸運が逃げたと言って残念がったりした。

田市場たのき

  田市場 たのき(狸)
  田の中で子を産んで
  たつぼ食って育った
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ
 

○○のガイラ

  ○○のガイラ 何食らう シラミ三升 ノミ三升
  あわせて六升 よう食ろた
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ
 
  
いわゆる悪口ことばである。昔は、村どうしの対抗意識が強く、子供たちの世界でも、ことあるごとに対立し、お互いの村をからかい、罵り合う、このような悪口ことばが多くあった。

あいついやらし

  あいついやらし なまじゃらじゃらと
  人がじゃらつきゃ あいつまで

  あいつにくらし でしゃばりやがって
  どんとくらわせ 青竹で
  
いつの時代でも、人の真似ばかりする者やおせっかいやきは、嫌われるものだ。そんな子を、非難と軽蔑を込めてはやしたてる時の悪口言葉である。

まねしまんざい米もらい

  まねし まんざい 米もらい
  一日歩いて 米半つぼ
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ
 
 
これも、人の真似ばかりしている者をからかう時のことばである。

わしのおかやん

  わしのおかやん こんぺとのたちよ
  甘いけれども 角がある
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ
 
  
これも悪口言葉の一つである。目を吊り上げて怒っている母親をひやかす時などに使った。「こんぺと」とは金平糖のこと。

男と女と遊ばんもんや

  男と女と遊ばんもんや
  金ちゃん ぼんちゃん 傷がつく
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ   
 
子供たちも、少し大きくなってくると異性を意識するようになり、それまで一緒に遊んでいた者同士も、お互いに距離を置くようになってくる。そんな年頃になっても、まだ男女が一緒に遊んでいるのを見て、みんなで一斉にはやしたてる時に言った言葉である。
こんな悪口言葉を言い立てながらも、本当は自分も一緒に遊びたいという羨望やら嫉妬やらが込められていた。

屁こきゃ三つの徳がある

  屁こきゃ 三つの徳がある
  おなかがすいて 気がはれて
  人には どんどと笑われて
  尻のほこりが立ってった
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ
 
  
おもわず放屁をしてしまった時に、こんなことを言って照れくさいのを誤魔化した。また、もらした相手をからかう時にも、この言葉を使った。

イボイボうつれ

  イボイボ うつれ
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ
 
 
昔の子供たちは、何故かしら手の甲などにたくさんのイボを作っていた。中には「百イボ」といって、手の甲一面に数えきれないくらいのイボをこしらえている子もいた。このイボを、他の子に移してやろうと、この言葉を唱えながら、自分のイボに触った指を相手の手などへくっつけに行ったのである。

鼻高こなあれ

  鼻高こなあれ 米安なあれ
 
   歌 : 須藤 千代、大森 みつゑ、森 田鶴子、森 とみゑ
 
  わたしゃ谷間の八重桜
  花が低ても 人が好く
 
   歌 : 大森 みつゑ
 
  
赤ん坊をあやす時に、赤ん坊の鼻の先をチョイトつまみながら言った言葉である。これに類したもので、他にも「アワワワ、アワワワ」 「カブリ、カブリ」 「ハラポンポコ、ハラポンポコ」 「カイグリ、カイグリ、オツモテンテン」というものもあった。
ツバのしゃぼん玉を作り、赤ん坊に見せて笑わせたりもした。これらは、子供だけでなく、大人も使った言葉である。