羽津の昔「人生儀礼」

1.産育

(1)妊娠

妊娠することを「はらむ」とか「身持ちになる」といい、妊婦のことを「サンド」といった。

妊娠して5ヶ月日の戌の日に、「とりあげ婆さん」―産婆さんのこと―に家へ来てもらって「帯祝い」をした。

「帯祝い」に、妊婦はサラシの岩田帯を「とりあげ婆さん」の手で腹部に巻いてもらった。この岩田帯は、神社造営の際の 「お木曳き」 に使用した白布をもらって巻くと安産するといわれていた。岩田帯の端には、食紅で三角形の赤い印をつけたものだが、それが何の意味であったかは定かではない。岩田帯をつける前、それを夫に「フンドシにかいて」もらうと産が軽いともいわれていた。

また、「帯祝い」の時には、小判型の白い餅を親戚縁者に配るが、このとき餅の中に少し茹でた小豆を一粒だけ入れたもので、餅を包丁で切って中の小豆が切れたら男、切れなかったら女といった。この餅のことを 「はらいた餅」とか「さいそく餅」と呼んだ。「はらいた餅」というのは、餅をもらった家は出産祝いをしなければならないので、その出費に腹が痛むからであり、「さいそく餅」というのは、餅を配った家が出産祝いを催促しているからだといわれている。
この餅は、嫁の親元が作って祝ってくるのが昔からのしきたりになっていた。

「帯祝い」 は、5ヶ月目にすることが多かったが、7ヶ月目にする場合もあった。しかも、最初の子の時だけという家が殆んどであって、第一子であってもしないという家も少なくなかった。

祝いの日に来てもらった 「とりあげ婆さん」には、何がしかの祝儀を渡した。「とりあげ婆さん」 は、この日を境に出産するまで、月一回くらいの割で妊婦の様子を診にきたものである。

妊娠中の禁忌としては、次のようなものがあった。

安産祈願には、白子の子安観音へお参りをし、御札をもらってきた。この御札に入っている桜の葉が表を向いていると男が生まれ、裏を向いていると女が生まれるといった。この葉の下には、男だと袴の腰板、女だと羽子板のかたちをした薄い紙片が敷いてあった。