羽津の昔「人生儀礼」

 

2 婚礼

(2)縁談の成立

縁談は、嫁方の内諾を得た時点で「キメ酒」を入れることで成立したものとみなされる。この日の夜、仲人は酒一升と酒肴のスルメを持って女方の家へ行き、最終的な了解をとりつける。この時に持っていく酒のことを「キメ酒」とか「タモト酒」といった。「タモト酒」と呼ぶのは仲人が人目につかないようにこっそりと袂に隠して持っていくからだといわれていた。

こうして縁談が成立したあと、式をしないで嫁入りをすることもあった。これを「足入れ」という。当時、「足入れ」をする家は、半分くらいの割合を占めていた。

「足入れ」とは仮祝言のことで、一応、仲人も立てて三三九度の盃も交わすが、正式の披露はしないのである。年回りが悪くて式があげられなかったり、一日も早く嫁の労働力がほしい時とか、兵隊に行く前などにも「足入れ」をすることが多かった。「足入れ」をしたものの、本人どうしが嫌になったり、親が気に入らなかったりしてご破算になることもあった。

「足入れ」の前に、結納だけは入れておくのが普通だが、結納も納めずに「キメ酒」だけで「足入れ」する場合もあった。

 

結納

「キメ酒」を入れたあと、吉日を選んで結納を行なう。これには、仲人夫婦で嫁方へ出向くが、男仲人が一人で行くこともあった。

結納の品としては、結納金としての小袖料、それに酒肴料(だいたい小袖料の一割)、雨傘、日傘、下駄(高下駄、日和下駄、ばうちの下駄)、線香(先祖へのみやげ)といったものであった。当時(大正時代)、結納の金額は、およそ米十五俵分というのが相場であったように思う。もちろん、この金額は家によって異なるし、持っていく品々もまちまちであった。

結納の返しである「御袴料」といったものは、当時はなかった。結納は、もらいっばなしが普通であった。

結納を納めたあと、仲人には結納膳と祝儀が出されるが仲人はこのときの膳と祝儀を婿方へ持ち帰り披露するしきたりになっていた。なぜならば、このとき出された膳と祝儀が結婚式の膳とか道具つりの祝儀の額につり合うものとされていたからである。