羽津の昔「人生儀礼」

2 婚礼

(3)結婚式

結婚式のことを、婿方のほうでは「嫁どり」、嫁方では「よめり(嫁入り)」といった。結婚式の順序は、多少前後するかもしれないが、およそ次のようなものであった。


たちふるまい

嫁の家では、結婚式の前日に「たちふるまい」という別れの宴を開き、親戚にも寄ってもらい膳を出して酒を飲んでもらった。また、嫁入り道具もこのとき見てもらった。これを省略し、結婚式の前日に、「燗壷」へ酒を入れ、それに田作りとカズノコを添えて、花嫁の履く下駄などの祝いをもらった親戚や近所に配ることもあった。これを「結納酒」といった。

 

婿入り

結婚式当日の午前中、婿は嫁の家へ正装して出向いていった。これを「婿入り」という。嫁の家では、膳を用意して婿を迎えた。ここには、男仲人も同席し、婿の伯父ら濃い親戚が一人か二人付添っていった。嫁の方からも濃い親戚が出て酌をしてまわった。だいたい一時間くらいで引き上げてきたもので、人力車に乗っていき、それを待たしておいて帰りも乗って帰った。

この「婿入り」の席で、婿は口をきいてはいけないといわれており、終始無言のままであった。この婿に何とか口をきかせようと、嫁方の若い衆が膳の箸を隠すなどのいたずらをしたもので、そのため婿は短かい脇差をさしていき、小柄で本膳の端を切って箸をつくり飯を食べてきたともいう。またこの道中、婿は若い衆に糞尿をひっかけられることもあった。

「婿入り」の席で、婿と嫁の両親が盃を交わすというようなことはなかった。

この「婿入り」の習慣は、次第に廃れ、後には、結婚式が終って、嫁が実家に帰る時に、婿もー緒についていくという形になった。

 

道具つり

嫁入りの道具は、式当日の午前中か「日のまたぎ」に、嫁の親戚から選ばれた「道具つり(道具ひき)」が婿の家まで運びこんだ。

道具としては、箪笥(二本)、長持ち、布団(最低二流れ)、座布団(十枚程)、下駄箱、盥、もみぢ箱(柳行李)、鏡台、あま台(お針箱)、裁ち台、火鉢(銅製)、はんぞう(足つきの洗面器)などといったもので、これらの細かいものは吊り台にのせて、二人ずつが棒でかついでいった。たいていは、この棒が三棹であったが、身上のよい家では五棹というところもあった。のちに、これを運ぶのは、板車になり、次いでリヤカー、それから自動車へと変わっていった。

道具が出る時には、必らず伊勢音頭を唄ったもので、道中では「長持ち唄」を唄い、婿の家へ入る時は再び伊勢音頭を唄った。また、婿の方では、「提灯もち」という役の人が、昼間でも提灯を持って村境近くまで道具を迎えに行った。

道具つりの責任者を「さいりょう」といい、道具の目録を持参して、婿方に手渡した。道具つりには、婿方より祝儀と膳が出た。祝儀の額は、結納の時に仲人が嫁方よりもらった祝儀と膳と同じものでなければならなかった。

普通、道具つりは結婚式には出ないものだが、嫁方の親戚が少ない場合は、これを兼ねて新客として列席することもあった。

 

嫁入り道中

当日の午後遅く、髪を高島田に結い、桃色の角隠しをつけ、色ものの着物を着た花嫁は、実家の仏壇に参り、親に別れの挨拶をしたあと、日傘をさして人力車に乗り、婿方の家へ向かう。人力車には、先ず男仲人が乗り、次に女仲人、そして花嫁、最後に 「伴」の役をする嫁の伯母などが乗り、連なって行った。

「伴」のことを「みつめ」とも「つきめ」ともいう。

この道中、婿の村へ入った辺りで、若い衆に水をかけられたり、糞尿をかけられたりの悪戯をされることがあった。このため、村の若い衆には、予め酒二升と 「三つ丼」―煮豆とタックリとカズノコを入れた丼―を持っていき、悪戯をされないようにした。

また、道中では、「おんどさん」という歌の音頭をとる人がついてきて、長持ち唄など目出たい歌を唄っていった。

花嫁は、すぐには婿方の家へは入らず、一旦、「じょりぬぎ場」―おちつき場ともいう―と呼ばれる婿方の近所か親戚の家へ入る。「じょりぬぎ場」のところでは、婿方の濃い親戚から選ばれた2~3人が嫁迎えの役として、ひとつの提灯を持って待っており、花嫁たちを迎えた。

花嫁は、道中、色ものの着物をつけてくるのだが、この「じょりぬぎ場」 で白装束に着替え、白の角隠しに替えるなど式に臨む支度をした。

 

三三九度の盃

日没もまもなくという時刻に、花嫁は仲人と「伴」に付添われ、いよいよ婿の家へ入る。

家の外では、「待女郎(マッチョロ)」といわれる娘が3~4人立っていて、花嫁を迎えた。「マッチョロ」 は、婿方の親戚の娘の中から選ばれた。

花嫁が家の敷居をまたいだ瞬間、嫁入りを見物に来ている人たちに向かって、屋根の上から、カヤの実とまんじゅうなどの菓子を撒いた。見物の人たちは、これを競いあって拾った。カヤの実は、花嫁の家から持ってくることになっていた。

尚、養子婿をむかえる場合は、女のほうが前もって家を出ており、婿が家に入った後から入ることになっていた。

家に入り、座敷にあがった花嫁は、先ず仏壇の前へ行き、持ってきた「おひねり」―一銭くらい」―をあげてから、仏を拝む。そして、一旦「あがりはな」まで下がり、列席している「しょうばん」―親戚の総代―を初めとする親戚一同に挨拶をした後、納戸へ入る。

電灯を消し燭台の火をともした納戸には、正装した花婿とその両親がいて、ここで三三九度の盃を交した。

先ず、夫婦の盃を交わし、次に親子の盃をすませた。盃は一つあるのみで、花嫁が先に盃を受けた。この席には、「お茶くみ」の役に当たった2人の女の子がいて、「男蝶」の銚子と「女蝶」の盃をそれぞれに持って、盃をまわし酒をついだ。この「お茶くみ」は本来、男の子と女の子がするものだが、いつからか2人とも女の子だけとなった。また、この場には、スルメと昆布と梅干しをのせた「三方」の前に親戚の若い者が座り、三三九度の盃を飲みほすと同時に、その都度「お肴これにー」と言って、竹の箸で「三方」の角をたたいた。さらには三三九度をしている間、別のものが「高砂」の謡曲を唄っていた。

もちろん、仲人もこの場に立会った。この三三九度が終ると、婿は用済みとなり、普段着に着替えて台所で火焚きなどをしていた。この三三九度の盃がすんだ時点で花嫁は色直しをした。これには最初から花嫁についてきている「髪結い」がしかるべく髪や衣裳を整えた。

 

披露宴

三三九度の盃を終え、色直しをした花嫁は、仲人に伴なわれ納戸を出て披露宴の席につく。席順は左図のようなものであった。

花嫁が席につくと、親戚の盃を交わし、それから仲人が一同に挨拶をする。その後、膳が出て酒宴となる。この場へは、「酌人」の男たちが出て、酒をついでまわった。膳には本膳、二の膳、三の膳、それに籠盛りと引き菓子を付けたものだが、出されるものはそれぞれの家によって異なった。

なお、酒が出る前には、紅白まんじゅうと昆布茶が一同に振る舞われることになっていた。

酒宴の始まるころ、村の若い衆が祝いにくることがあり祝いの印として扇子を一対持ってきたり、別名や鵤では「げんぞう」という「にわか芝居」のようなことをしたりもした。鵤町や別名では、昭和のはじめ頃までは、大根か芋で作った陰陽の「つくりもの」を重箱に入れて持ってきて、花嫁の前に置いたりしたものだという。その陰陽の「つくりもの」を使い、花嫁を困らせるために、色々と奇矯なしぐさもして見せることもあったようである。

また、宴会の場には、「すすりぶた」といわれる大根でつくった鶴亀を中心にした立派な飾り物が置かれていた。これについている料理は小皿にわけて一同に配られた。この「すすりぶた」の出来ばえで当日の板前の腕が測られたもので、「すすりぶた」が出された時に、板前に祝儀が渡された。この祝儀は、嫁方のいわゆる「新客」が出すものとされ、また「お茶くみ」の小女に対する祝儀も嫁方の「新客」がするものとされていた。

尚、祝宴の費用については、すべて婿方が負担するものときまっていた。

 

床入り

祝宴は、えんえんと続き、朝近くまで飲みあかしたものだが、「床入り」の時間―だいたい午前零時すぎ―になると、花嫁は女仲人に伴われて床入りの行われる部屋―離れ座敷か下部屋が多い―へ退く。この時まで花嫁は宴会の場に座っているが、途中、何回も色直しをし、最後には赤い着物をつけることになっていた。

床入りの部屋には、花婿が待っており、そこで「わけめし」といわれるー碗の飯を、夫婦で半分ずつ分けて食べたあと、女仲人から色々と教えを受けて、それから床入りとなった。

床入りを確認したあと、女仲人は祝宴の場へ戻り、男仲人と一緒に「これで私どもの役は終りました」と挨拶して帰っていった。