羽津の昔「人生儀礼」
3 葬制
(2)その後の供養
初七日
初七日を「七日のひきあげ」ともいう。これを葬式の当日の夜に行なう家もあれば、その翌日の昼にする家もあった。これには、葬式で世話になった親類・組・講中の人たちに膳を振る舞うとともにお勤めをしてもらった。
本来、初七日は、死の前日から数えて七日目にするのが建前であるが、日を改めてそれを勤めるのが苦痛になり、日を繰り上げて葬式の当日か翌日に行なうようになったもので、大正の頃には、既にこの形になっていた。
尚、死の前日のことを「おたいや」といい、死んだ日を「たち日」という。「たち日」は、以後毎月1回ずつ巡ってくることになる。そして、年1回の月と日のともに死んだ日あたるのが「祥月命日」である。
忌明けと年忌
初七日が終ったあとの供養日は、次の通りである。
二七日
三七日
四七日
たち日(以後毎月一回ずつ巡ってくる)
三十五日(五七日)
六七日
四十九日(忌明け)
百ケ日
初盆
一周忌
三回忌
七回忌
十三回忌
十七回忌
二十三回忌
二十七回忌
三十三回忌
三十七回忌
四十三回忌
四十七回忌
五十回忌
上の供養日のうち、二七日、三七日、四七日、たち日、六七日は、「ごえんさん(御院主)」に来てもらい、内々にお勤めをしてすませた。が、三十五日か四十九日のいずれかには、親戚などつきあいのある家を呼んで膳を出し、お勤めをしてもらうことになっていた。そして、四十九日がすめば、「忌明け」となり、それまでの精進料理などの物忌みからも解放されることになっていた。
百ケ日には、故人の兄弟や子供を呼んで膳を出して、お勤めをした。この日、故人の遺品や遺産を分配する「形見分け」が行なわれることが多かった。初盆については、年中行事の項を参照されたい。
一周忌以降のお勤めは、家によってまちまちで、その都度親戚に寄ってもらい、膳を出す家もあれば、それを略してしまう家もあった。
他の地方には、この五十回忌の「といあげ」を以って、故人が仏から、祖霊としての神に転化するという伝承があるが、羽津には、そうした言い伝えはない。
近年、年回忌は、故人の祥月命日ではなく、便宜上、土曜や日曜に行なわれることが多い。しかし、この場合でも、年回忌は、命日の前でなくてはならず、命日の後になるのはいけないと言われている。