羽津の昔「人生儀礼」

 

3 葬制

(3)その他

講中について

講中と書いて「こうしゅう」と読む。

昔は、行政の推し進めた住民組織のひとつに五人組の制度があったが、それよりも実際生活で機能していたのは、任意組織の講中による自治と相互扶助であり、必ずしも「おてつぎ(檀那寺)」や宗派を同じくする必要はなく、宗派が違っても同じ講中に入るという形になっていた。

従って、当初の講中は隣近所を中心としたものであったのだが、分家したり移住したりしても、本家や元々の講中に属したままであったので、しだいに講中の規模は大きく且つ拡散していくこととなった。

講中は、葬儀の際に特にその相互扶助の力を発揮し、葬具の準備から火葬、故人の供養に至るまで色々な形で援助しあった。また、講中は、年4~6回の農閑期に「宿」に当たった家へ集まり、報恩講、念仏講ともいうべきお勤めもした。そのときは、「たじ」という、飯を盛った茶碗に椀を伏せたものを入れた岡持ち状の箱を各自が提げていき、お勤めがすんだあと、「宿」で作ってもらった汁を持っていった椀に受けて、会食をした。

村内における講中の主なものには、旧二区の「槌屋講」と「中北条講中」。南条の「南条二十八日講中」―これは、「母家講」と「新家講」とに分かれていた。それに鵤の「新御講」、「寺御講」。別名の「十六日講」と「二十八日講」と「親講」―別名の場合、三つの講にそれぞれ無常講がついている。これは仏のない新しい家で組織されたもので、御講の宿はしないということになっていた。そして八幡の「無常講」と「小寄講」などがあった。さらに、鵤では、仏教婦人会による女人講、別名では「尼講」といわれる婦人だけの講もあった。昔、別名では子供だけの「子供講」もあったという。


半門徒

「おてつぎ」の門徒が遠隔の地へ移った場合、やむをえず移住先にある同一宗派の寺の門徒になることもある。が、その場合でも元来の 「おてつぎ」とは縁を切らず両方の門徒を兼ねたもので、これを「半門徒」と呼んだ。

「半門徒」の家の葬式では、導師は元来の「おてつぎ」から来てもらったもので、いかに出自の寺を大切に考えていたかが分かる。