羽津の昔「年中行事」
8月
七日盆
8月7日を「七日盆」といい、この日、三昧の墓掃除に行った。
また、この日は村総出で「道なおし(道普請)」をした。もちろん、村総出である以上、これには非農家も出なければならなかった。
盆
これは、8月14、15、16日の3日間にわたるもので「月おくれの盆」といっていた。旧暦においては、7月に行なわれていたものと思われる。
各家では、8月14日に蒸し餅(小麦粉の皮に饀をつめ、茗荷やガンタチの葉で包み蒸しあげた餅)とか、ぼた餅を作り、素麺や仏花としての鬼灯(ほおずき)、蓮花の蕾と一緒に仏前へ供えた。
8月15、16日には、光明寺境内で盆踊りが盛大に行なわれ、また浄瑠璃も上演されたので、大勢の人で賑わった。
当時は、まだレコードやCDなど普及していなかった時代で、踊りの歌も、踊り手が輪になって踊りながら誰彼となく順番に歌い、他の人たちがはやしを入れたという。男も女も仮装して、手拭いで頬かむりをし、腰には飾り物をつけて踊った。
その盆歌は、次のようなものであった。
サーエー 忘れまいぞえ 十兵衛さんの手柄ェ
アー ヨイヨイヨイ ヨヤサノセ
エー 骨身砕いた ヤーレサノーエ 羽津の水
ヨイヨイヨイ ヨヤサノセ
サーエー 老いも若きも 品よく踊りゃェー
ヨイヨイヨイ ヨヤサノセ
エー 羽津の音頭で ヤーレサノーエ 賑やかに
アー ヨイヨイヨイ ヨヤサノセ
サーエー 揃た揃たよ 踊子が揃たエー
ヨイヨイヨイ ヨヤサノセ
エー 二百二十日の ヤーレサノーエ 出穂のようにー
ヨイヨイヨイ ヨヤサノセ
サーエー 今年ゃ豊年 穂に穂が咲いてるよー
ヨイヨイヨイ ヨヤサノセ
みー道の小草も ヤーレサノーエ 米がなるー
アーヨイヨイヨイ ヨヤサノセ
サーエー 秋が来たやら 鹿さえ鳴くにー
アー ヨイヨイヨイ ヨヤサノセ
エー 何故に紅葉が ヤーレサノーエ 色づかぬー
アー ヨイヨイヨイ ヨヤサノセ
サーエー 目出た目出たの若松様よエー
アー ヨイヨイヨイ ヨヤサノセ
エー 枝も栄えて ヤーレサノーエ 葉も繁る
ヨイヨイヨイ ヨヤサノセ
サーエー 無我の教えに 感謝の踊り
アー ヨイヨイヨイ ヨヤサノセ
エー 唄えはやせよ ヤーレサノーエ 夜明けまで
アー ヨイヨイヨイ ヨヤサノセ