羽津の昔「子どもの遊び」

 このページは、昭和57年3月15日に発行されました「羽津のむかし 第1集 子どもの遊び」(羽津地区民俗同好会編)を基に作成しています。

昔の子供たちの遊びで、特に集団で行なわれた遊びの大半は、寒い冬の季節に集中しています。これは、昔の遊びには大人社会における年中行事や信仰行事を模倣し、或いは変化させたものが多く、その大人の行事自体が冬に集中していたことの反映と考えられます。また、冬は農閑期にあたっており、子供たちにとっても比較的のんびりとできる時間の与えられる季節であったということも大きな理由のひとつでしょう。

昔の子供たちに許された遊びの時間は、極めて限られたものでした。学齢期ともなれば、子供といえども一家の貴重な労働力でしたので、田畑での農作業、家畜の世話、子守り、水汲み、飯炊きなど年齢に応じたさまざまな手伝いが課せられました。そのため、農繁期などには学校へも出てこられない子が数多くいました。学校は学習の場というより、家から解放された子供たちが羽をのばす場だったのです。ですから、一連の農作業が終った冬は、子供たちの自由を回復させる最も楽しい季節だったのです。

物質的にも今のように恵まれていなかった昔の子供たちは、物理的にも精神的にも不断に飢えていました。そうした強い飢餓感が、かえって遊びへの欲求とエネルギーを燃え立たせ、遊びによる自由で豊かな心身の躍動を生みだしたといえるのかもしれません。

ここでいう『昔』とは、およそ明治の末期から大正の終り頃までを指しています。『子どもの遊び』に収録されている遊びは、その当時のものを中心とし、特に集団あそびに重点が置かれています。昔のあそびで昭和57年当時に生き残っているもの、たとえば羽根つき・かるた・すごろくなどの一般的な遊びについては、省略されています。亥の子まつり、山の神まつりなどの子供たちが直接にかかわる年中行事も多かったようですが、それらについても『子どもの遊び』では省略されています。(これらについては、年中行事のページをご覧ください。)

 

 

  目次
   
  1.いろいろな遊び
   (1)おおぜいが集まって
   (2)人数が少なくても
   (3)歌をうたいながら
   (4)おもに女の子だけで
   (5)自分達で遊具を作って
   (6)自然とのふれあいのなかで
   
  2.わらべ歌とことばの遊び
   
  3.昔の「だちん」